いやー、かなり忘れてますね。それにしても、改めて見直してみると、京アニCLANNADがいかに原作のテキストを拾っているかがわかってうれしかったり。
ただ、ここまでのお話を見てきた限りでの印象は、かなりハイスピードでジェットコースタームービーのような展開だということ。CLANNADはゆっくりと流れる日常を楽しむという部分もあると思いますが、アニメではうまくダイジェストの形でエッセンスを取り入れつつ、あれよあれよという間に30分が過ぎてしまうような、楽しい印象のいっぱい詰まったお話になっていると思っていました。
いよいよ、20回です。
*
やってくれましたね。原作どおり。言葉で表現すればそんな簡単なものなのに、これを作るのにどれだけの苦労がいることなのでしょう。渚ルートに入ってからは、もう本当にCLANNADだなー、という感じのお話が続いていて、前回はいよいよ本編だとオープニングが始まったあたりなのかな、と書いていましたが、まさか本当に原作のオープニングを表現するとは。
ネタバレを気にせず書いてしまいますが、ゲームCLANNADでは、ゲームを始めてもオープニングが流れません。私は京アニの制作発表の後に始めましたから、ある程度情報は入っていたのですが、例の特報ムービーで聞いたメグメルが聞きたいと思っても、一向に流れる気配がない。
渚ルートを体験することによって、それはなされるわけなんですね。
それこそゲームをプレイし始めて数時間の後にいきなり始まるオープニングムービー。結構力も入っているのに、例えばスタート画面で放置していたりしてもそれは流れないわけなんですよねー。贅沢な話です。
演出的に言えば、ちょっと渚のセリフを特徴的な画面で見せて、タイトルロゴを入れただけのものです。でも、原作体験者にとっては、これがゲームのオープニングの入り方の再現だということが分かるわけでして。んー、憎いなあ。だって、もう20話ですよ?w 物語りは終盤もいいとこで、アニメでは毎回オープニングが入るという制約があるのに、我々はここで真のオープニングを見られた気分になるわけなんです。凄いなぁ、これは。
Kanonの時は、1話の最初からまったくゲームと同じ入り方をして、ファンは再現度の高さに圧倒されつつずっと魅了されっぱなしだったと思いますが、CLANNADはうまくアレンジをきかせてあったように思いました。そこにもってきて原作通りを見せ付けられると、いやはや、感涙ものですよ。
そんな度肝を抜かれる始まり方をした今回ですが、OPをはさんで大きな展開が見られました。今まで謎として提示されてきた、不思議な世界の場面。「幻想世界」と呼ばれるシーンが、渚のやりたかったお話を表現したものであるかもしれないということです。
前回の感想で、渚が序盤でそのお話について触れた箇所を述べましたが、今回は、また違うことを言っていますねw
あれ?楽しいお話じゃなかったんですか?
正直なところ、ゲーム本編を見てもこのお話がどう結末を迎えるのか、というのは事細かに述べられてはいません。今回渚ルートを見直してみましたが、幻想世界の物語は原作渚ルートの進行度に比べると、若干遅めになっているようです。終わってしまった世界にいるたった一人の少女。その傍らには「僕」と名乗るガラクタ人形がひとつ。少女が作り出したそのガラクタは、なぜか命をもったかのように動き始めました。それにはどんな意味があったのでしょう。また、同じように作られた人形は、なぜ動かなかったのでしょう。
人形が動かないことに涙を流す少女。ガラクタ人形が、寂しいだろうからという涙のはずです。しかし、人形が生まれるまで、少女は一人だったはず。少女は一人でも泣いていませんでした。それが、人形が友達を作ろうとして失敗したことには涙を流してしまう。それは、なぜ。
人形が一人では寂しいだろうと思うということは、少女は「一人だと寂しい」ということを知っていたからということ。人形に対して、この世界が不思議なものであるということを知っているからには、あなたは以前違う世界にいたのか、と問うていましたが、ならば、少女も「寂しくなかった世界」に住んでいたのではないのでしょうか。
ちなみに、アニメのオープニングは、ゲーム本編で流れるオープニングと雰囲気を似せていますが、違っている箇所も多くあります。ゲームでは、人物紹介の場面以外では特報映像で流れた不思議な世界の映像を中心に進んでいきます。その部分がアニメではどうなっているかというと。
雪の日の風景から始まり、ガラクタ人形の手らしきものが、恐らく女性の手をつかんでいます。その色は本当に白く、雪の色に同化してしまいそう。カメラが引くと、見渡す限りの雪景色のなか、体を半分以上うずめてしまったガラクタ人形の姿が。
場面は変わり、緑の風景が見られます。光射す緑の上で眠る少女。その面影には見覚えがあるようです。その様子を見に来たらしい影には、こちらも見覚えがあるような気がしますね。
再び画面は変わり、開放的な空の映像に。花畑を駆け抜ける小さな女の子が映し出されます。
わざわざ挿入した映像。果たしてこれは本編にリンクしてくるのでしょうか。
ともあれ、そんな幻想世界の物語に、不思議なことに朋也も既視感を覚えているようです。渚も小さい頃に聞いた話だと言っているのに、両親ともに覚えがないというのはなぜなのでしょうか。
*
「原作通り」を踏襲しながら、シリアスになりすぎないようにハンドリングしていくのは今回も同じ。ああ、ここで「お前にレインボー」をもってくるわけですねw
同時期にラジオ番組が放映されているのでそれとの関連を考える人も多いかもしれませんが、これは原作がオリジナル。ラジオ番組のタイトルを聞いた時は吹き出しましたが、まさか映像でレインボーパンを見られるとはw 何が材料でできてるか全然わかんないですよねえ! あっきーが振ったらなんか光がこぼれてますよねえ! 絶対食べられるものだって思えませんよねえ!!
シリアスとコミカルを繰り返しながら、少しずつだけど、明らかにCLANNADな世界に踏み入っていますね。
そんなことを考え始めた時に唐突に流れるゆきねぇBGM。どうやらゆきねぇはさすがにメインヒロインではないためにシナリオは入らなそうなのが残念ですが、また印象的なエピソードが挿入されていました。実現させるその効果に定評のあるおまじない百科です。実はこれ、体育倉庫の前にくるはずのエピソードなんですが、原作を経験していると「ひょっとしてあの人がくるのか!?」と思ってしまいますよね。結果的には、綺麗に本編につなげられていて一安心。うまくゆきねぇにも役割が与えられていますよね。
*
その後もコミカルなシーンを織り交ぜつつ話は進行していきますが、屋根の上での告白は印象的なものでした。一見何の悩みもなくて幸せそうに見える家族が抱えた、彼らだけにしか分からない問題。渚は両親に済まないことをしたように思っており、両親はその理由を隠しています。渚の存在のために、夢をあきらめざるを得なかったこと。
ここにきてCLANNADの大きな本題が明らかになってきたのかな、とも思われますが、何のことはない、ここまでにも繰り返し語られている部分です。
渚の件は、不幸な偶然だったのだろうと思います。あっきー本人も語っているとおり、夢と生活(ここでは子どもを育てること)を両立できる人も多いのでしょう。渚があのタイミングで病気にならなかったなら、そんな未来はなかったのかもしれません。
交通事故に遭い、大好きなお姉ちゃんに思いを伝えられなくなってしまった少女。
妹の不幸に心を痛め、自らの幸せをあきらめていた女性。
両親を亡くし、大切なものを身近に置くことを拒絶してしまった少女。
自分の病気のせいで演劇部に入ることをあきらめていた少女。
腕のケガや、事件によって夢がかなえられなくなった少年たち。
大好きなバイオリンを弾けなくなった少女。
妹のために、自分の想いを表に出すことをあきらめた少女。
こうしてみると、出会いは偶然であったのかもしれませんが、絆でつながってきていますよね。理由があれば、それは偶然ではなくて奇跡でもなくて、必然になるのかもしれません。
夢をあきらめた人たち。でも、そんな思いがかなえられる可能性は残されています。
風子や公子は、あきらめなかったことで思いを通わせることができました。ことみは、外の世界に足を踏み入れたことで新たなつながりを得ることができました。
智代の場合は事情が違いますが、これはまだ思いがかなえられていない人たちがそれを実現するヒントになるのだと思います。
特に目標もなくただ荒れていただけの少女。しかし彼女は、気づいていなかった家族とのつながりに目覚め、その家族のために桜並木を保存しようという目標を見つけました。生徒会長に就任し、その目標は着々と実現に近づいています。
つまり、今たどり着きたい場所がなかったとしても、いずれそれが見つかる可能性があるはずなのです。
渚の場合は、演劇部に入るという目標がかなえられず、新たに演劇部を作ろうと決心しました。紆余曲折はあったものの、夢の実現にはあと一歩という所まで近づいています。他の面々も、あきらめないで思い続けていれば、新たな道が開ける可能性があるわけなのです。
あっきーや早苗さんは、大人であるがゆえの存在として描かれています。ただあきらめて毎日を過ごすだけのパン屋夫婦じゃないんですね。そんな理由が語られるのは、そう遠くないことだろうと思われます。
*
ラスト付近でのもう一つのやま場である、春原の説得。これも泣かせますよね。原作を読み返してみると、もうこの辺りでは朋也と渚は恋人同士になっています。ですから、お互いに想いをもっと交わしているわけなのですが、アニメではまだ保留されていますよね。ですから、春原の言葉もかなり意味合いが違ってきています。はっきりしない態度が渚を苦しめている、というのはアニメオリジナルのセリフだと思いますが、何ともそのうまさにうならせられますね。
朋也も渚のことを真剣に見ているのは分かります。あっきーに対して
というのがそれです。ですが、ピクニックに際して家族水いらずで過ごしてほしいという気遣いから黙って出てきた朋也に対して、春原は渚の自身のなさを指摘していますよね。普段アホなことばかりしている彼ですが、人のことを真剣に見ているということがわかるひとこま。ちょっとうるうるっときます。
こういうやり取りが、すごくリアルなんですよね。作られたお話だと分かってはいるものの、ちょっと油断すると現実社会で抱くような思いで感情移入させられてしまう。これもCLANNADの醍醐味だと思います。
そんな少年たちの思惑を遥かに超えていることを、さりげなくあっきーは見せ付けます。朋也が抱くであろう思い、渚が取る行動を見越したような振る舞いは、なんといい大人なんでしょうか。渚の態度も一貫していますよね。雪の日に倒れた時もそうなのですが、2回の雨の日のバスケシーンでもそうです。渚のことを理解していれば、朋也を待っているであろうことは予測できるはず、というわけなんですなあ。
また、屋根の上でのシーンのセリフもいいですよね。1回で早苗さんが泣きながら走っていった後に登場したあっきーのセリフは、
でしたが、ここ、笑うとこですよねw
それが今回の「真実ってのは、いつも過酷なもんだからなあ・・・」はどうでしょう。同じ内容を言っているはずなのに、演技もあいまって心にストレートに響いてくる使われ方をしていますよね。ほんと、よくできてるなぁ。
そんなちょっとの試練を乗り越えた、朋也と渚はまた距離を近づけています。初めてみるはずなのに、どこか懐かしい風景。朋也が久しく忘れていたような、きらきらした瞬間がまた戻ってきたのです。お弁当を朋也に食べさせるシーンは、18回の修羅場を思い出させるじゃないですか!w
あの時のどたばたに比べて、今回の幸せに満ちた表現はどうなんでしょう。さすがは主人公、貫禄が違います。
野球をするシーンは、原作にもあります。ただ、原作だと人数が足りているのか、朋也には順番が回ってこないんですね。それは渚にしても同じ。渚がバッターボックスに立つのは別シナリオのエピソードなのですが・・・。ここでこれをつなげるというのか!京アニ、恐ろしい子!!
CLANNADを視聴した印象は、らき☆すたのそれに近く、なんとなくのほほんと楽しめるといった部分が多かったように思いますが、今回はKanonで見せられたような鳥肌が感じられるいい話でした。最後の幸せそうな渚の笑顔もいいですよね。で、この心にわき上がって振りほどけない不安感は何なのでしょうか・・・。原作にはないはずなのに、あそこでなぜか渚が倒れてしまうのではないかとハラハラして・・・。まあ、来週も渚は元気そうだし、きっと学園祭はうまくいく・・・よね?
以下、ネタバレ。
今後の展開や、物語の根幹にかかわる部分について触れますので、珍しく文字色を保護色にしてみる試みを。
秋生が渚の過去を告白するシーンですが、オープニングと同じ渚が雪に倒れるシーンは予測できたものの、雪の中で渚を抱きかかえるシーンがAFTERの1回目のエンディングと同じ構図なのには身震いしました。秋生が感じたのと同じ思いを抱いて、汐を連れて願いがかなう場所にいくというわけなんですね・・・恐らく、1期CLANNADのエンディングはここで終わるのではないかと思っています。
演劇部の発表直後に渚が倒れ、その後どこまではしょるかわかりませんが、出産シーンと、あとは汐との旅行が入って、最終話のラストで汐を抱きかかえるシーンが入ってくるのではないでしょうか。
そうしないと、本当に2期やってもらわないとオープニングの映像が意味不明なまま終わっちゃいますよねw
(ネタバレ終わり)
(追記)
忘れるとこだったぁぁぁぁ!!!
まずはこの画面をみてほしい。冒頭アバンの岡崎のリストバンド。

T・Oって書いてありますよね。タクティクスオウガ・・じゃないよねえ。
…。
!!!!
Tomoya Okazakiじゃん!!!
えええええええええええ!
ダサい!ダサすぎるよ!朋也!
部活で使ってたやつなのか!それにしてもイニシャルで入れるか、普通!!
ということは、13回「思い出の庭を」で着てたTシャツの胸にかかれてた「TO」も、やっぱ朋也・岡崎の略だったのかwwwwww
ないわー。
ひくわー。
やってくれましたね。原作どおり。言葉で表現すればそんな簡単なものなのに、これを作るのにどれだけの苦労がいることなのでしょう。渚ルートに入ってからは、もう本当にCLANNADだなー、という感じのお話が続いていて、前回はいよいよ本編だとオープニングが始まったあたりなのかな、と書いていましたが、まさか本当に原作のオープニングを表現するとは。
ネタバレを気にせず書いてしまいますが、ゲームCLANNADでは、ゲームを始めてもオープニングが流れません。私は京アニの制作発表の後に始めましたから、ある程度情報は入っていたのですが、例の特報ムービーで聞いたメグメルが聞きたいと思っても、一向に流れる気配がない。
渚ルートを体験することによって、それはなされるわけなんですね。
それこそゲームをプレイし始めて数時間の後にいきなり始まるオープニングムービー。結構力も入っているのに、例えばスタート画面で放置していたりしてもそれは流れないわけなんですよねー。贅沢な話です。
演出的に言えば、ちょっと渚のセリフを特徴的な画面で見せて、タイトルロゴを入れただけのものです。でも、原作体験者にとっては、これがゲームのオープニングの入り方の再現だということが分かるわけでして。んー、憎いなあ。だって、もう20話ですよ?w 物語りは終盤もいいとこで、アニメでは毎回オープニングが入るという制約があるのに、我々はここで真のオープニングを見られた気分になるわけなんです。凄いなぁ、これは。
Kanonの時は、1話の最初からまったくゲームと同じ入り方をして、ファンは再現度の高さに圧倒されつつずっと魅了されっぱなしだったと思いますが、CLANNADはうまくアレンジをきかせてあったように思いました。そこにもってきて原作通りを見せ付けられると、いやはや、感涙ものですよ。
そんな度肝を抜かれる始まり方をした今回ですが、OPをはさんで大きな展開が見られました。今まで謎として提示されてきた、不思議な世界の場面。「幻想世界」と呼ばれるシーンが、渚のやりたかったお話を表現したものであるかもしれないということです。
前回の感想で、渚が序盤でそのお話について触れた箇所を述べましたが、今回は、また違うことを言っていますねw
世界にたった一人残された、女の子の話です。
それは、とてもとても悲しい、冬の日の幻想物語なんです。
あれ?楽しいお話じゃなかったんですか?
正直なところ、ゲーム本編を見てもこのお話がどう結末を迎えるのか、というのは事細かに述べられてはいません。今回渚ルートを見直してみましたが、幻想世界の物語は原作渚ルートの進行度に比べると、若干遅めになっているようです。終わってしまった世界にいるたった一人の少女。その傍らには「僕」と名乗るガラクタ人形がひとつ。少女が作り出したそのガラクタは、なぜか命をもったかのように動き始めました。それにはどんな意味があったのでしょう。また、同じように作られた人形は、なぜ動かなかったのでしょう。
人形が動かないことに涙を流す少女。ガラクタ人形が、寂しいだろうからという涙のはずです。しかし、人形が生まれるまで、少女は一人だったはず。少女は一人でも泣いていませんでした。それが、人形が友達を作ろうとして失敗したことには涙を流してしまう。それは、なぜ。
人形が一人では寂しいだろうと思うということは、少女は「一人だと寂しい」ということを知っていたからということ。人形に対して、この世界が不思議なものであるということを知っているからには、あなたは以前違う世界にいたのか、と問うていましたが、ならば、少女も「寂しくなかった世界」に住んでいたのではないのでしょうか。
ちなみに、アニメのオープニングは、ゲーム本編で流れるオープニングと雰囲気を似せていますが、違っている箇所も多くあります。ゲームでは、人物紹介の場面以外では特報映像で流れた不思議な世界の映像を中心に進んでいきます。その部分がアニメではどうなっているかというと。
雪の日の風景から始まり、ガラクタ人形の手らしきものが、恐らく女性の手をつかんでいます。その色は本当に白く、雪の色に同化してしまいそう。カメラが引くと、見渡す限りの雪景色のなか、体を半分以上うずめてしまったガラクタ人形の姿が。
場面は変わり、緑の風景が見られます。光射す緑の上で眠る少女。その面影には見覚えがあるようです。その様子を見に来たらしい影には、こちらも見覚えがあるような気がしますね。
再び画面は変わり、開放的な空の映像に。花畑を駆け抜ける小さな女の子が映し出されます。
わざわざ挿入した映像。果たしてこれは本編にリンクしてくるのでしょうか。
ともあれ、そんな幻想世界の物語に、不思議なことに朋也も既視感を覚えているようです。渚も小さい頃に聞いた話だと言っているのに、両親ともに覚えがないというのはなぜなのでしょうか。
*
「原作通り」を踏襲しながら、シリアスになりすぎないようにハンドリングしていくのは今回も同じ。ああ、ここで「お前にレインボー」をもってくるわけですねw
同時期にラジオ番組が放映されているのでそれとの関連を考える人も多いかもしれませんが、これは原作がオリジナル。ラジオ番組のタイトルを聞いた時は吹き出しましたが、まさか映像でレインボーパンを見られるとはw 何が材料でできてるか全然わかんないですよねえ! あっきーが振ったらなんか光がこぼれてますよねえ! 絶対食べられるものだって思えませんよねえ!!
シリアスとコミカルを繰り返しながら、少しずつだけど、明らかにCLANNADな世界に踏み入っていますね。
そんなことを考え始めた時に唐突に流れるゆきねぇBGM。どうやらゆきねぇはさすがにメインヒロインではないためにシナリオは入らなそうなのが残念ですが、また印象的なエピソードが挿入されていました。実現させるその効果に定評のあるおまじない百科です。実はこれ、体育倉庫の前にくるはずのエピソードなんですが、原作を経験していると「ひょっとしてあの人がくるのか!?」と思ってしまいますよね。結果的には、綺麗に本編につなげられていて一安心。うまくゆきねぇにも役割が与えられていますよね。
*
その後もコミカルなシーンを織り交ぜつつ話は進行していきますが、屋根の上での告白は印象的なものでした。一見何の悩みもなくて幸せそうに見える家族が抱えた、彼らだけにしか分からない問題。渚は両親に済まないことをしたように思っており、両親はその理由を隠しています。渚の存在のために、夢をあきらめざるを得なかったこと。
ここにきてCLANNADの大きな本題が明らかになってきたのかな、とも思われますが、何のことはない、ここまでにも繰り返し語られている部分です。
渚の件は、不幸な偶然だったのだろうと思います。あっきー本人も語っているとおり、夢と生活(ここでは子どもを育てること)を両立できる人も多いのでしょう。渚があのタイミングで病気にならなかったなら、そんな未来はなかったのかもしれません。
交通事故に遭い、大好きなお姉ちゃんに思いを伝えられなくなってしまった少女。
妹の不幸に心を痛め、自らの幸せをあきらめていた女性。
両親を亡くし、大切なものを身近に置くことを拒絶してしまった少女。
自分の病気のせいで演劇部に入ることをあきらめていた少女。
腕のケガや、事件によって夢がかなえられなくなった少年たち。
大好きなバイオリンを弾けなくなった少女。
妹のために、自分の想いを表に出すことをあきらめた少女。
こうしてみると、出会いは偶然であったのかもしれませんが、絆でつながってきていますよね。理由があれば、それは偶然ではなくて奇跡でもなくて、必然になるのかもしれません。
夢をあきらめた人たち。でも、そんな思いがかなえられる可能性は残されています。
風子や公子は、あきらめなかったことで思いを通わせることができました。ことみは、外の世界に足を踏み入れたことで新たなつながりを得ることができました。
智代の場合は事情が違いますが、これはまだ思いがかなえられていない人たちがそれを実現するヒントになるのだと思います。
特に目標もなくただ荒れていただけの少女。しかし彼女は、気づいていなかった家族とのつながりに目覚め、その家族のために桜並木を保存しようという目標を見つけました。生徒会長に就任し、その目標は着々と実現に近づいています。
つまり、今たどり着きたい場所がなかったとしても、いずれそれが見つかる可能性があるはずなのです。
渚の場合は、演劇部に入るという目標がかなえられず、新たに演劇部を作ろうと決心しました。紆余曲折はあったものの、夢の実現にはあと一歩という所まで近づいています。他の面々も、あきらめないで思い続けていれば、新たな道が開ける可能性があるわけなのです。
あっきーや早苗さんは、大人であるがゆえの存在として描かれています。ただあきらめて毎日を過ごすだけのパン屋夫婦じゃないんですね。そんな理由が語られるのは、そう遠くないことだろうと思われます。
*
ラスト付近でのもう一つのやま場である、春原の説得。これも泣かせますよね。原作を読み返してみると、もうこの辺りでは朋也と渚は恋人同士になっています。ですから、お互いに想いをもっと交わしているわけなのですが、アニメではまだ保留されていますよね。ですから、春原の言葉もかなり意味合いが違ってきています。はっきりしない態度が渚を苦しめている、というのはアニメオリジナルのセリフだと思いますが、何ともそのうまさにうならせられますね。
朋也も渚のことを真剣に見ているのは分かります。あっきーに対して
きちんと説明すれば、受け止められる強さをもっている奴だと思うぞ
というのがそれです。ですが、ピクニックに際して家族水いらずで過ごしてほしいという気遣いから黙って出てきた朋也に対して、春原は渚の自身のなさを指摘していますよね。普段アホなことばかりしている彼ですが、人のことを真剣に見ているということがわかるひとこま。ちょっとうるうるっときます。
こういうやり取りが、すごくリアルなんですよね。作られたお話だと分かってはいるものの、ちょっと油断すると現実社会で抱くような思いで感情移入させられてしまう。これもCLANNADの醍醐味だと思います。
そんな少年たちの思惑を遥かに超えていることを、さりげなくあっきーは見せ付けます。朋也が抱くであろう思い、渚が取る行動を見越したような振る舞いは、なんといい大人なんでしょうか。渚の態度も一貫していますよね。雪の日に倒れた時もそうなのですが、2回の雨の日のバスケシーンでもそうです。渚のことを理解していれば、朋也を待っているであろうことは予測できるはず、というわけなんですなあ。
また、屋根の上でのシーンのセリフもいいですよね。1回で早苗さんが泣きながら走っていった後に登場したあっきーのセリフは、
真実ってーのはいつも過酷なもんなんだ。それをそのまんまつきつけちゃあ・・・かわいそうだろ!!
でしたが、ここ、笑うとこですよねw
それが今回の「真実ってのは、いつも過酷なもんだからなあ・・・」はどうでしょう。同じ内容を言っているはずなのに、演技もあいまって心にストレートに響いてくる使われ方をしていますよね。ほんと、よくできてるなぁ。
そんなちょっとの試練を乗り越えた、朋也と渚はまた距離を近づけています。初めてみるはずなのに、どこか懐かしい風景。朋也が久しく忘れていたような、きらきらした瞬間がまた戻ってきたのです。お弁当を朋也に食べさせるシーンは、18回の修羅場を思い出させるじゃないですか!w
あの時のどたばたに比べて、今回の幸せに満ちた表現はどうなんでしょう。さすがは主人公、貫禄が違います。
野球をするシーンは、原作にもあります。ただ、原作だと人数が足りているのか、朋也には順番が回ってこないんですね。それは渚にしても同じ。渚がバッターボックスに立つのは別シナリオのエピソードなのですが・・・。ここでこれをつなげるというのか!京アニ、恐ろしい子!!
CLANNADを視聴した印象は、らき☆すたのそれに近く、なんとなくのほほんと楽しめるといった部分が多かったように思いますが、今回はKanonで見せられたような鳥肌が感じられるいい話でした。最後の幸せそうな渚の笑顔もいいですよね。で、この心にわき上がって振りほどけない不安感は何なのでしょうか・・・。原作にはないはずなのに、あそこでなぜか渚が倒れてしまうのではないかとハラハラして・・・。まあ、来週も渚は元気そうだし、きっと学園祭はうまくいく・・・よね?
以下、ネタバレ。
今後の展開や、物語の根幹にかかわる部分について触れますので、珍しく文字色を保護色にしてみる試みを。
秋生が渚の過去を告白するシーンですが、オープニングと同じ渚が雪に倒れるシーンは予測できたものの、雪の中で渚を抱きかかえるシーンがAFTERの1回目のエンディングと同じ構図なのには身震いしました。秋生が感じたのと同じ思いを抱いて、汐を連れて願いがかなう場所にいくというわけなんですね・・・恐らく、1期CLANNADのエンディングはここで終わるのではないかと思っています。
演劇部の発表直後に渚が倒れ、その後どこまではしょるかわかりませんが、出産シーンと、あとは汐との旅行が入って、最終話のラストで汐を抱きかかえるシーンが入ってくるのではないでしょうか。
そうしないと、本当に2期やってもらわないとオープニングの映像が意味不明なまま終わっちゃいますよねw
(ネタバレ終わり)
(追記)
忘れるとこだったぁぁぁぁ!!!
まずはこの画面をみてほしい。冒頭アバンの岡崎のリストバンド。

T・Oって書いてありますよね。タクティクスオウガ・・じゃないよねえ。
…。
!!!!
Tomoya Okazakiじゃん!!!
えええええええええええ!
ダサい!ダサすぎるよ!朋也!
部活で使ってたやつなのか!それにしてもイニシャルで入れるか、普通!!
ということは、13回「思い出の庭を」で着てたTシャツの胸にかかれてた「TO」も、やっぱ朋也・岡崎の略だったのかwwwwww
ないわー。
ひくわー。
プロフィール








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