どうなんでしょう、私は原作を読んでいるからこのシーンがくることは予習済みだったのですが、いきなりこの重苦しさを味わった視聴者は面食らったのではないでしょうか。
どうしてこうなった。
暗い雰囲気が全体に漂っています。演出を見れば、「憂鬱5」と同じ方のようで、さもありなん。
暗いシーンの後にちょっとニヤニヤするシーンが入って救いがありますが、それでも結構な衝撃でしたよね。
*
まず最初に、「笑い」について考えたいと思うんです。
以前どこだかで、「笑い」は「距離」を表しているという文章を読みました。つまり、その対象から距離があれば、人は笑うことができる。
たとえば、人がずっこけて転んだとします。笑いの生まれるシーンです。でも、転んだ後にケガをして痛がったり苦しんでいたりしたら笑うことができません。それが親しい人ならなおさら。また、自分が転んだ時は、恥ずかしさのあまり照れ笑いをして立ち上がることでしょう。
この場合、転んだ人が観測対象であり、「転んだこと」と自分の間には距離があります。しかし、それが重大になることで、「他人事とは思えない」という心理が働いて、「転んだこと」への距離が縮まるのだと思います。自分が転んだ時は、「転んだこと」が「かっこ悪い」ために、そこから距離を置きたくて、笑いが自分に生まれるのだろうと思います。
これを私が前から話している「不快感」や「恐怖感」と比べて考えてみると、「笑い」の対象になるものは概して「不快感」や「恐怖感」を呼び起こすものとかかわりがあるように思えるんです。
「間が悪い」とか、その場にそぐわないものがあることでも、人は笑いを覚えます。何らかの形が、少しずれて表現されているような場合なども。これも、「正しい」状態にあるべきものが、「正しくない」状態でいることに対して笑いを覚えるのだと思います。
これって、本来そういった「正しくない」ものがあることに対する不快感や恐怖といったものへの対抗策というか、物が崩れて気持ち悪い状態を意識から外すために笑い飛ばして解決する、という精神の作用が働いているように思えるんです。
つまり、「正しくない」状態を知っている、それで心が満たされているという「悪い状態」に対する、体の自浄作用というか。「笑い」を作ることで体の免疫作用が高まった、なんて噂も聞いたことがありますよね。
我々が小さい頃に見ていたような「笑い」には、結構乱暴な描写があったように思うんです。ドタバタコメディや、徹底的に仲間を痛めつけるような描写があっても、そこで大抵の場合、不快感は覚えなかった気がします。ただ単に、仲間がひどい目に遭っている様は笑いを呼んでいました。もちろん、それに対して大人は不快感を示し、「教育上よくない」なんて評価を加えてもいたのですけれど。
今回のハルヒの行動からは、そういう幼い頃の記憶の残滓が感じられないでしょうか。
コントの代表的なモチーフとして、「雪山コント」「博士と助手」などのほかに、「監督もの」というものがありまして。これはとにかく監督が理不尽な要求をつきつけ、助監督と言われる使いっぱしりがそれに対応しようとするのですが、ことごとく監督の思い通りにはいかず、その指示を曲解したり、指示通りにする能力がなさそうな、少し知能の低い表現をすることで、観客におかしみを与えるものだったと思います。
回りくどいですが、「監督」と「ボケ役」がいて、メガホンによるツッコミがそれに干渉した場合、「笑える」ものになるはずなんです。
それがどうして今回は笑えないのか? というわけです。
朝比奈さんが池に落ちるシーンでもそうです。「ミクルの冒険」を思い出してみてください。これが映像化されたシーンで、我々は不快感を覚えたでしょうか。もちろん、繊細な感性を持つ人は物語の奥まで見てしまって不愉快さを覚えるのかもしれませんが、大抵の視聴者は、朝比奈さんを池に突き落とす際につられて自分も落ちてしまう谷口の姿を見ながら、「笑って」いたはずなんです。
そう、笑えないんですよ、「笑える」シーンで。
それが何故かといえば、先の「距離」の話で、池に突き落とされる面々への距離が縮まっているからです。
池に突き落とすシーンは笑いを呼ぶものである。それが、全員合意の上で行われたらいい。でも、直前に朝比奈さんの決死の表情や、池から上がってきて辛そうにしている様、体調を崩すかもしれないと示唆されている事実から、我々はそのシーンを笑い飛ばすことができない。自分がその立場にあったら、と仮定してしまうために、その現象から距離を置くことができないんです。
これは、演出の力なのでしょうね。
「ほっとけない」という感情は、キョンが感じているものです。その感情の盛り上がりに伴って、不穏なBGMが続けて挿入されることにより、朝比奈さんがひどい目に遭うことが他人事ではなく、不愉快なものになっていく。
考えてみれば、「朝比奈さんがひどい目に遭う」というモチーフですら、我々は笑い飛ばしてきたはずなんです。それは恐らく、キョンも半ばそう。朝比奈さんが悲鳴を上げながら着替えさせられている時でもキョンは余り制止したりはしませんし、前回の「お勤め、ご苦労様です」というセリフからも、朝比奈さんがハルヒにいじられることが役割であるという認識がうかがえるのです。
そこからすれば、今回キョンがこられきれなくなって怒りを見せたことのほうが、特異であるはずなのですが、そこに不自然さは感じられない。むしろ、今まで怒らなかったほうが不思議なくらい、これまでの「溜息」でハルヒは「うざい」描写をされていたわけですよね。古泉の「あなたはもっと冷静な人だと思っていましたが」というのはそれを指していると言えます。
古泉は、この朝比奈さんの受難に対して、多分さしたる感慨は抱いていません。それはハルヒに指示をされてキスをしようとしてしまうとこからも察せられます。朝比奈さんにとってそれはデメリットであるはずですが、一般的な男子高校生の抱く羞恥心から考えたら、いきなり同世代の女性に「キスをせよ」と言われて、それこそシラフでできるはずがないんです。
長門にしてもそう。朝比奈さんがトンデモ兵器を発射しようとした時には瞬時にそれを制止するのですが、それ以外で彼女が動くことはない。それは、彼女の役割である「観測」に対して大きな障害ではなく、むしろ干渉することのほうが「観測」に対して悪影響を及ぼすからなのでしょうね。
谷口や鶴屋さんは一般人代表としてさすがに「引いている」素振りを見せていますが、恐らくこれくらいのことはSOS団の中では日常的なもの。だからSOS団の面々はそれをやめさせない。
じゃあ、キョンは? ということです。
朝比奈さんへの暴虐な振る舞いがトリガーになったことは確かですが、ここまでキョンの気持ちが高まってしまったのは、これまでの経緯でフラストレーションがたまっていたからなのかもしれない。それこそ本人も牛乳1リットル飲んだら治ったしな、と言っています。でも、これって牛乳を1リットル飲む時点ですでに後悔していますよね。牛乳を1リットル飲むことは日常的に行われているとは考えにくく、自分の怒りの原因をカルシウム不足だと推測し、そこに牛乳を投入しようとしているということは、すでに怒りを収めようと努力しているということです。
なんでキョンが怒ったのか。
これは、怒りのシーンの少し後に発せられたキョンのセリフがヒントになるのではと思いました。
これが直接的な怒りの原因とは思えません。「怒り」があって、次の瞬間にその怒りの原因を自己分析することで出て来た言葉ですしね。でも、それらには関連があるのでは、とも思うんです。
「溜息」の前の感想でも、ハルヒの行動をキョンが「嫌なもの」であると考えていると話しました。加えて今回は、それが「悪い方向」に向かっていると考えたわけです。感覚的な拒絶から、理屈の上での拒絶に。その感情が推移することで、キョンの怒りが生まれたのではないでしょうか。
ハルヒは、楽しんでいます。極めて子どもらしい思い付きで、「映画づくりごっこ」を続けています。そこに使命感は感じられず(少なくともキョンにとっては)、失敗することへの恐怖や、リスクへの責任感なども感じられない。
ハルヒの行動は往年の「映画コント」に近いものであり、どたばたして笑えるものなのかもしれないのですが、その度合いが過剰になってしまっている。抵抗できない対象への過剰な攻撃は「いじめ」であって、それは「悪いこと」なのです。
キョンは、自分がハルヒの暴虐に耐えられることを知っている。だから自分にひどい役割が回ってきても、それに対して切れることはない。でも、朝比奈さんは、と考えると少し悩ましいのでしょうね。何も自分を守るすべがない朝比奈さんは、本当につらい目に遭っているのではないか。ハルヒは、自分が強い存在であるがために、そのつらさを理解できていないのではないか。この辺りは以前のセリフにもあった
からもうかがえますし、今回でも「立ち入り禁止」の柵を乗り越える際に朝比奈さんが乗り越えられない理由が分からない素振りを見せていることからも分かります。直後にハルヒは朝比奈さんの手を引いて中に入れていますから、決して彼女に悪意はない。だから「困ったもの」なわけですが。
そんな「無抵抗へのモノへの暴虐」は、鳩のシーンでも感じられます。神社の鳩がすべて白くなっていたら、「そんなことあるわけねー」と、普段なら笑えるシーンであってもおかしくないんです。しかし、この鳩が群れている様を目にして起こる感情は、憐れみに似たものです。鳩は何も悪くない。おまけに、自分たちに何が起こっているかもわかっていない。なのに、ハルヒの「白い鳩を映画に出したい」という気まぐれで、そんな自分の望まないかもしれない状況を強いられていると感じられるのです。
古泉がキョンに鳩を見せて、この世界の仕組みを解説するのもそういうことなのでしょう。
鳩は我々人類。自分たちが気づかない間に、自分たちの望まない形に作り変えられる可能性がある。でも、古泉はそれを悪いことだとは表現していなかったように思います。なぜって、鳩自身はそれに気づいていないからです。自分の気づかないことに対して哀れみを感じるのは、気づいている「外」の立場にいる存在だけ。そしてその「哀れみ」は、自分がその立場にないから、という傲慢である可能性もあるということです。
それを踏まえた上で、古泉は「この世界が好きだ」と告げています。恐らくこれは、彼の本音なのでしょうね。「自分たちが世界を守っているとでも言うような」というセリフからは、自分たちの行動の善悪を、現時点で判断できていないこともうかがえます。もちろん、よかれと思ってやっていることなのでしょうが、歴史的な観点でみるならば、結果的にそれが悪的行為であったということになる可能性もある。なぜそんな自分の行動に疑問を持つかといえば、それを正しく判断できる、長門や朝比奈さんの勢力というものが目の前にいるからなのです。「良い」「悪い」では判断できない。ならば、「好き」として行動するしかない。そんなやるせなさが感じられる、いいセリフだと思います。
ハルヒはただ、自分のしたいようにしているだけ。それがどんな結果を及ぼすかはさして見えていないようですが、それは我々だって同じことです。自分の行動がどんな結果を生むかなんて、完全に把握している人なんていない。
キョンが谷口の言葉で気づいたことは、そういうことなのかもしれません。
映画がダメな方向に向かっているのは分かっている。でも、「見えている」自分が、それを食い止めようとしていないのはどういうことなのか。
キョンが「お前にだけは言われたくない」と谷口に言うのは、彼が何もアクションを起こしていないからだ、と説明づけられていますが、それは自分の以前の姿を重ねてみるからなのでしょう。「宇宙人や未来人、超能力者がいてほしい」と思いながら、そんな「世界を楽しくする」ための努力はしてこなかった自分。的ははずれていて、大きく暴走はしていますが、少なくとも自分の価値観を正しいものだと信じて、世界という風車に対して戦いを挑んできたハルヒ。
それを比べて、自分はその行動に共感しようと、恐らくキョンは考えていたはずなんです。誰からも期待されていなくても、自分だけはそれに気づいていてやろうと。
「溜息」では、それが忘れられていた。
それを思い出したのは、昼食のシーンで箸に残った米粒を見た瞬間なんでしょうね。
ハルヒは現在、大半の人に避けられている「アホ」です。SOS団の面々は一見仲間のように見えますが、ハルヒのそばにい続けるのは、それぞれの役割があるから。すると、完全に自己の意思でハルヒの傍にいるのは、キョンだけということになります。自律進化の可能性や、時空の歪み、あるいは神に匹敵する能力を持った少女。そうではなく、ハルヒを「ハルヒ」として見られるのは、キョンだけなんです。
そのキョンが彼女を見捨てたら、本当にハルヒはまた元の孤独な状態に戻ってしまう。そしてそれが分かっているのも、またキョンだけ。古泉あたりはそのへんを理解していそうですが、干渉できる立場にはいませんしね。
「見えている」自分がするべきことは何か。それが後で激しく後悔するだろうことであっても、せざるを得ない状況が、そこにはあったわけです。
しかし今回の見せ方は秀逸だったなぁ。キョンとハルヒの決裂のシーンでも、「どうせ何も考えてないんだろう」「つまらん」というキョンのセリフは、ハルヒの行動理念を真っ向から否定するものであってですね。だからハルヒも本気で怒りを見せるわけです。少なくとも、ハルヒはハルヒなりに「面白く」しようとあれこれ考えているんです。何回なくしても、新しいカラーコンタクトを買いに行ったりねw
また、キョンが部室に乗り込んできた時の、ハルヒがポニーテールを解くシーンはもう、原作でも唯一ニヤニヤが止まらない場面であるのですが、いやはや、今回やっぱりニヤニヤさせられましたねw
キョンがポニーテール好きなのは分かっていて、珍しくハルヒにポジティブな発言をした「似合ってるぞ」を受けていますから、ハルヒが完璧なポニテをすることで、キョンの関心を引くだろうことは分かっているのです。でも、「自分が他人の思い通りになりたくない」という意思から、彼女はその長い髪を切ったのですから、その自分の行動に対する後悔というかなんというか、そんな複雑な気持ちを含んでいるわけで。
いいですねえ。青春だねェ。
ラスト付近で桜が満開なシーンでハルヒが回るのも地味にツボでしたw
どんだけベタな表現だよ! と自己ツッコミを入れながらも、両手を広げてくるくる回るハルヒの屈託のなさににやにやにや。
ふー、いい最終回だった。
え? まだ話が残っているだろうって? いやー、でももう「溜息」の最大の見せ場は終わったッスよw
後は消化試合なんじゃないッスか?w
このように、ヤマ場が綺麗に収まらないのも今回の「溜息」シリーズの特徴。ハルヒとキョンが和解して映画が完成! ってな終わり方にはならないんです。だからこそ、原作を55ページずつ無機的に映像化しているのかもしれませんが。
原作は275ページ。今回はきっちり220ページ目で終わっていますから、次回で「溜息」は終わるんじゃないか、というのが大方の予想です。でも、終わり方が難しいんだよなあ。多分「ミクルの冒険」を再来週に持ってくるんでしょうが、それを踏まえると綺麗な終わり方というのが想像できない。
ともあれ、かなり変わったやり方で遊びを加えてくるシリーズですから、来週も楽しみに待っておくことにしましょうか。
まず最初に、「笑い」について考えたいと思うんです。
以前どこだかで、「笑い」は「距離」を表しているという文章を読みました。つまり、その対象から距離があれば、人は笑うことができる。
たとえば、人がずっこけて転んだとします。笑いの生まれるシーンです。でも、転んだ後にケガをして痛がったり苦しんでいたりしたら笑うことができません。それが親しい人ならなおさら。また、自分が転んだ時は、恥ずかしさのあまり照れ笑いをして立ち上がることでしょう。
この場合、転んだ人が観測対象であり、「転んだこと」と自分の間には距離があります。しかし、それが重大になることで、「他人事とは思えない」という心理が働いて、「転んだこと」への距離が縮まるのだと思います。自分が転んだ時は、「転んだこと」が「かっこ悪い」ために、そこから距離を置きたくて、笑いが自分に生まれるのだろうと思います。
これを私が前から話している「不快感」や「恐怖感」と比べて考えてみると、「笑い」の対象になるものは概して「不快感」や「恐怖感」を呼び起こすものとかかわりがあるように思えるんです。
「間が悪い」とか、その場にそぐわないものがあることでも、人は笑いを覚えます。何らかの形が、少しずれて表現されているような場合なども。これも、「正しい」状態にあるべきものが、「正しくない」状態でいることに対して笑いを覚えるのだと思います。
これって、本来そういった「正しくない」ものがあることに対する不快感や恐怖といったものへの対抗策というか、物が崩れて気持ち悪い状態を意識から外すために笑い飛ばして解決する、という精神の作用が働いているように思えるんです。
つまり、「正しくない」状態を知っている、それで心が満たされているという「悪い状態」に対する、体の自浄作用というか。「笑い」を作ることで体の免疫作用が高まった、なんて噂も聞いたことがありますよね。
我々が小さい頃に見ていたような「笑い」には、結構乱暴な描写があったように思うんです。ドタバタコメディや、徹底的に仲間を痛めつけるような描写があっても、そこで大抵の場合、不快感は覚えなかった気がします。ただ単に、仲間がひどい目に遭っている様は笑いを呼んでいました。もちろん、それに対して大人は不快感を示し、「教育上よくない」なんて評価を加えてもいたのですけれど。
今回のハルヒの行動からは、そういう幼い頃の記憶の残滓が感じられないでしょうか。
コントの代表的なモチーフとして、「雪山コント」「博士と助手」などのほかに、「監督もの」というものがありまして。これはとにかく監督が理不尽な要求をつきつけ、助監督と言われる使いっぱしりがそれに対応しようとするのですが、ことごとく監督の思い通りにはいかず、その指示を曲解したり、指示通りにする能力がなさそうな、少し知能の低い表現をすることで、観客におかしみを与えるものだったと思います。
回りくどいですが、「監督」と「ボケ役」がいて、メガホンによるツッコミがそれに干渉した場合、「笑える」ものになるはずなんです。
それがどうして今回は笑えないのか? というわけです。
朝比奈さんが池に落ちるシーンでもそうです。「ミクルの冒険」を思い出してみてください。これが映像化されたシーンで、我々は不快感を覚えたでしょうか。もちろん、繊細な感性を持つ人は物語の奥まで見てしまって不愉快さを覚えるのかもしれませんが、大抵の視聴者は、朝比奈さんを池に突き落とす際につられて自分も落ちてしまう谷口の姿を見ながら、「笑って」いたはずなんです。
そう、笑えないんですよ、「笑える」シーンで。
それが何故かといえば、先の「距離」の話で、池に突き落とされる面々への距離が縮まっているからです。
池に突き落とすシーンは笑いを呼ぶものである。それが、全員合意の上で行われたらいい。でも、直前に朝比奈さんの決死の表情や、池から上がってきて辛そうにしている様、体調を崩すかもしれないと示唆されている事実から、我々はそのシーンを笑い飛ばすことができない。自分がその立場にあったら、と仮定してしまうために、その現象から距離を置くことができないんです。
これは、演出の力なのでしょうね。
「ほっとけない」という感情は、キョンが感じているものです。その感情の盛り上がりに伴って、不穏なBGMが続けて挿入されることにより、朝比奈さんがひどい目に遭うことが他人事ではなく、不愉快なものになっていく。
考えてみれば、「朝比奈さんがひどい目に遭う」というモチーフですら、我々は笑い飛ばしてきたはずなんです。それは恐らく、キョンも半ばそう。朝比奈さんが悲鳴を上げながら着替えさせられている時でもキョンは余り制止したりはしませんし、前回の「お勤め、ご苦労様です」というセリフからも、朝比奈さんがハルヒにいじられることが役割であるという認識がうかがえるのです。
そこからすれば、今回キョンがこられきれなくなって怒りを見せたことのほうが、特異であるはずなのですが、そこに不自然さは感じられない。むしろ、今まで怒らなかったほうが不思議なくらい、これまでの「溜息」でハルヒは「うざい」描写をされていたわけですよね。古泉の「あなたはもっと冷静な人だと思っていましたが」というのはそれを指していると言えます。
古泉は、この朝比奈さんの受難に対して、多分さしたる感慨は抱いていません。それはハルヒに指示をされてキスをしようとしてしまうとこからも察せられます。朝比奈さんにとってそれはデメリットであるはずですが、一般的な男子高校生の抱く羞恥心から考えたら、いきなり同世代の女性に「キスをせよ」と言われて、それこそシラフでできるはずがないんです。
長門にしてもそう。朝比奈さんがトンデモ兵器を発射しようとした時には瞬時にそれを制止するのですが、それ以外で彼女が動くことはない。それは、彼女の役割である「観測」に対して大きな障害ではなく、むしろ干渉することのほうが「観測」に対して悪影響を及ぼすからなのでしょうね。
谷口や鶴屋さんは一般人代表としてさすがに「引いている」素振りを見せていますが、恐らくこれくらいのことはSOS団の中では日常的なもの。だからSOS団の面々はそれをやめさせない。
じゃあ、キョンは? ということです。
朝比奈さんへの暴虐な振る舞いがトリガーになったことは確かですが、ここまでキョンの気持ちが高まってしまったのは、これまでの経緯でフラストレーションがたまっていたからなのかもしれない。それこそ本人も牛乳1リットル飲んだら治ったしな、と言っています。でも、これって牛乳を1リットル飲む時点ですでに後悔していますよね。牛乳を1リットル飲むことは日常的に行われているとは考えにくく、自分の怒りの原因をカルシウム不足だと推測し、そこに牛乳を投入しようとしているということは、すでに怒りを収めようと努力しているということです。
なんでキョンが怒ったのか。
これは、怒りのシーンの少し後に発せられたキョンのセリフがヒントになるのではと思いました。
動物でも人間でも、言って聞かない奴は殴ってでも躾けてやるべきなんだ。でないとこいつは、一生誰からも避けられるようなアホになっちまうんだ」
これが直接的な怒りの原因とは思えません。「怒り」があって、次の瞬間にその怒りの原因を自己分析することで出て来た言葉ですしね。でも、それらには関連があるのでは、とも思うんです。
「溜息」の前の感想でも、ハルヒの行動をキョンが「嫌なもの」であると考えていると話しました。加えて今回は、それが「悪い方向」に向かっていると考えたわけです。感覚的な拒絶から、理屈の上での拒絶に。その感情が推移することで、キョンの怒りが生まれたのではないでしょうか。
ハルヒは、楽しんでいます。極めて子どもらしい思い付きで、「映画づくりごっこ」を続けています。そこに使命感は感じられず(少なくともキョンにとっては)、失敗することへの恐怖や、リスクへの責任感なども感じられない。
ハルヒの行動は往年の「映画コント」に近いものであり、どたばたして笑えるものなのかもしれないのですが、その度合いが過剰になってしまっている。抵抗できない対象への過剰な攻撃は「いじめ」であって、それは「悪いこと」なのです。
キョンは、自分がハルヒの暴虐に耐えられることを知っている。だから自分にひどい役割が回ってきても、それに対して切れることはない。でも、朝比奈さんは、と考えると少し悩ましいのでしょうね。何も自分を守るすべがない朝比奈さんは、本当につらい目に遭っているのではないか。ハルヒは、自分が強い存在であるがために、そのつらさを理解できていないのではないか。この辺りは以前のセリフにもあった
ハルヒは己の価値基準や判断を絶対的なものだと信じ込んでいる。他人の意思や意識が自分のものと違う場合もある、むしろ違ってばかりである、ということが分かっていないに違いない。
からもうかがえますし、今回でも「立ち入り禁止」の柵を乗り越える際に朝比奈さんが乗り越えられない理由が分からない素振りを見せていることからも分かります。直後にハルヒは朝比奈さんの手を引いて中に入れていますから、決して彼女に悪意はない。だから「困ったもの」なわけですが。
そんな「無抵抗へのモノへの暴虐」は、鳩のシーンでも感じられます。神社の鳩がすべて白くなっていたら、「そんなことあるわけねー」と、普段なら笑えるシーンであってもおかしくないんです。しかし、この鳩が群れている様を目にして起こる感情は、憐れみに似たものです。鳩は何も悪くない。おまけに、自分たちに何が起こっているかもわかっていない。なのに、ハルヒの「白い鳩を映画に出したい」という気まぐれで、そんな自分の望まないかもしれない状況を強いられていると感じられるのです。
古泉がキョンに鳩を見せて、この世界の仕組みを解説するのもそういうことなのでしょう。
鳩は我々人類。自分たちが気づかない間に、自分たちの望まない形に作り変えられる可能性がある。でも、古泉はそれを悪いことだとは表現していなかったように思います。なぜって、鳩自身はそれに気づいていないからです。自分の気づかないことに対して哀れみを感じるのは、気づいている「外」の立場にいる存在だけ。そしてその「哀れみ」は、自分がその立場にないから、という傲慢である可能性もあるということです。
それを踏まえた上で、古泉は「この世界が好きだ」と告げています。恐らくこれは、彼の本音なのでしょうね。「自分たちが世界を守っているとでも言うような」というセリフからは、自分たちの行動の善悪を、現時点で判断できていないこともうかがえます。もちろん、よかれと思ってやっていることなのでしょうが、歴史的な観点でみるならば、結果的にそれが悪的行為であったということになる可能性もある。なぜそんな自分の行動に疑問を持つかといえば、それを正しく判断できる、長門や朝比奈さんの勢力というものが目の前にいるからなのです。「良い」「悪い」では判断できない。ならば、「好き」として行動するしかない。そんなやるせなさが感じられる、いいセリフだと思います。
ハルヒはただ、自分のしたいようにしているだけ。それがどんな結果を及ぼすかはさして見えていないようですが、それは我々だって同じことです。自分の行動がどんな結果を生むかなんて、完全に把握している人なんていない。
キョンが谷口の言葉で気づいたことは、そういうことなのかもしれません。
映画がダメな方向に向かっているのは分かっている。でも、「見えている」自分が、それを食い止めようとしていないのはどういうことなのか。
キョンが「お前にだけは言われたくない」と谷口に言うのは、彼が何もアクションを起こしていないからだ、と説明づけられていますが、それは自分の以前の姿を重ねてみるからなのでしょう。「宇宙人や未来人、超能力者がいてほしい」と思いながら、そんな「世界を楽しくする」ための努力はしてこなかった自分。的ははずれていて、大きく暴走はしていますが、少なくとも自分の価値観を正しいものだと信じて、世界という風車に対して戦いを挑んできたハルヒ。
それを比べて、自分はその行動に共感しようと、恐らくキョンは考えていたはずなんです。誰からも期待されていなくても、自分だけはそれに気づいていてやろうと。
「溜息」では、それが忘れられていた。
それを思い出したのは、昼食のシーンで箸に残った米粒を見た瞬間なんでしょうね。
ハルヒは現在、大半の人に避けられている「アホ」です。SOS団の面々は一見仲間のように見えますが、ハルヒのそばにい続けるのは、それぞれの役割があるから。すると、完全に自己の意思でハルヒの傍にいるのは、キョンだけということになります。自律進化の可能性や、時空の歪み、あるいは神に匹敵する能力を持った少女。そうではなく、ハルヒを「ハルヒ」として見られるのは、キョンだけなんです。
そのキョンが彼女を見捨てたら、本当にハルヒはまた元の孤独な状態に戻ってしまう。そしてそれが分かっているのも、またキョンだけ。古泉あたりはそのへんを理解していそうですが、干渉できる立場にはいませんしね。
「見えている」自分がするべきことは何か。それが後で激しく後悔するだろうことであっても、せざるを得ない状況が、そこにはあったわけです。
しかし今回の見せ方は秀逸だったなぁ。キョンとハルヒの決裂のシーンでも、「どうせ何も考えてないんだろう」「つまらん」というキョンのセリフは、ハルヒの行動理念を真っ向から否定するものであってですね。だからハルヒも本気で怒りを見せるわけです。少なくとも、ハルヒはハルヒなりに「面白く」しようとあれこれ考えているんです。何回なくしても、新しいカラーコンタクトを買いに行ったりねw
また、キョンが部室に乗り込んできた時の、ハルヒがポニーテールを解くシーンはもう、原作でも唯一ニヤニヤが止まらない場面であるのですが、いやはや、今回やっぱりニヤニヤさせられましたねw
キョンがポニーテール好きなのは分かっていて、珍しくハルヒにポジティブな発言をした「似合ってるぞ」を受けていますから、ハルヒが完璧なポニテをすることで、キョンの関心を引くだろうことは分かっているのです。でも、「自分が他人の思い通りになりたくない」という意思から、彼女はその長い髪を切ったのですから、その自分の行動に対する後悔というかなんというか、そんな複雑な気持ちを含んでいるわけで。
いいですねえ。青春だねェ。
ラスト付近で桜が満開なシーンでハルヒが回るのも地味にツボでしたw
どんだけベタな表現だよ! と自己ツッコミを入れながらも、両手を広げてくるくる回るハルヒの屈託のなさににやにやにや。
ふー、いい最終回だった。
え? まだ話が残っているだろうって? いやー、でももう「溜息」の最大の見せ場は終わったッスよw
後は消化試合なんじゃないッスか?w
このように、ヤマ場が綺麗に収まらないのも今回の「溜息」シリーズの特徴。ハルヒとキョンが和解して映画が完成! ってな終わり方にはならないんです。だからこそ、原作を55ページずつ無機的に映像化しているのかもしれませんが。
原作は275ページ。今回はきっちり220ページ目で終わっていますから、次回で「溜息」は終わるんじゃないか、というのが大方の予想です。でも、終わり方が難しいんだよなあ。多分「ミクルの冒険」を再来週に持ってくるんでしょうが、それを踏まえると綺麗な終わり方というのが想像できない。
ともあれ、かなり変わったやり方で遊びを加えてくるシリーズですから、来週も楽しみに待っておくことにしましょうか。
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